昨年末、アメリカの元大統領、ジミー・カーター氏が100歳で亡くなりました。1月9日、国葬が予定されています。大統領経験者の中では健康長寿の最高記録を更新し続けたカーター氏。大統領在任中もホワイトハウスを去った後も、平和外交に尽力し、ノーベル平和賞にも輝きました。

 中でも、2か月に及ぶ水面下での交渉の末、1978年、中国の鄧小平氏との間で国交正常化に向けての合意に達したことは歴史的な偉業に他なりません。1979年1月1日、米中間に正式な国交が樹立されました。

 亡くなった父親の後を継ぎ、ジョージア州でピーナッツ農場を経営していたカーター氏が政治の世界に踏み込んだ背景には若くして結婚したロザリン夫人の影響が大きかったと思われます。21歳のジミーと18歳のロザリンが結婚したのは1946年でした。
 
 以来、2人の結婚生活は77年間に及びました。アメリカの放送界のスター、オプラ・ウィンフリー曰く「あなた方の愛は誰もがそう願っているような愛だ」と語ったほど。

 しかし、2人のパートナーシップはロマンチックな結びつきだけではなく、政治的な同盟でもあり、ホワイトハウスにおいても、そして、その後は世界中の至る所で活動する原動力となったことは間違いありません。

 残念ながら、ロザリンさんは認知症と診断され、2023年11月に96歳で亡くなりました。「夫妻としての最大の功績は何か」との質問に対し、元大統領は「ローザの助けで大統領に選出されたこと」と回答しています。

 ロザリンはファーストレディの役割を拡大し正式なものとし、ホワイトハウスにファーストレディのオフィスを誕生させました。夫妻はホワイトハウスで政策昼食会を開き、ロザリンは閣議や会見にも積極的に同席。

 彼女は外交分野でも大きな役割を果たしました。1978年のイスラエルとエジプト間のキャンプ・デービッド合意の交渉に際し、大統領期間中の最も難しい局面に立たされた夫に寄り添い、助言を与え続けたのです。

 ロザリンはメンタルヘルスの擁護者となり、議会を通じてメンタルヘルスへの資金提供を推進。また、彼女は高齢者、病気、または障害のある人々を世話する人々の代弁者としても活動。

 2人とも90歳を越えてからも、高齢者向けの住宅建設の現場で共に働いていた姿がしばしば見受けられました。国葬後、カーター氏はロザリンの隣に仲睦まじく横たわります。