「安倍元総理の国葬」ですが、日本国民の間では賛否両論が渦巻いたものです。9月27日に武道館で筆者を含め内外の招待者4300人の参加の下、盛大に開催されたわけですが、終わってみれば「国葬にした意味がどれだけあったのか」と改めて疑問が投げかけられたと言わざるを得ません。
凶弾に倒れた安倍元総理の業績に関する議論は別にして、国葬に伴う費用が当初の2億5000万円から警備費や接遇費が加わり約17億円と増額になったことも問題視されました。推進派の議員からは「海外から参列する代表団が日本で宿泊や買い物をするはずで、その経済効果は20億円を下らない。よって、経済的な採算は十分合う」と豪語していました。
その後、最終的な国の負担額は12億4000万円との報告がなされました。当初の予想よりも4億円以上も少なくなったようです。しかし、なぜ減額となったのかは明確な説明がありません。国費を投入したのであれば、きちんとした費用対効果の評価が欠かせないと思います。そもそも国葬に関する法的基準も曖昧模糊としたままです。
そもそも、テロの銃弾に倒れた安倍元総理なのですが、「なぜそのような暗殺事件が、よりによって選挙の最中の白昼、衆人環視の下に起きたのか」といった疑問に対する説明は皆無でした。1963年11月22日にダラスで凶弾に倒れたケネディ大統領の暗殺事件が思い起こされたものです。ほぼ60年前の出来事ですが、いまだにその真相は明らかにされていません。
治安の良さが売り物の日本です。「テロに屈しない」との決意は分かるのですが、暗殺事件が発生した背景についての捜査や説明がなければ、内外の参列者もメディアを通じて国葬を視聴した人々も腑に落ちない思いが残ったのではないでしょうか。
しかも、岸田総理の唱えた「弔問外交」ですが、海外からは「不参加」の声が次々と寄せられてしまい、G7の 現役のトップは誰一人参加しなかったわけで、岸田総理の目論見の甘さが目立ったようです。各国から来日した代表団の内40人ほどとは15分程度の面談を次々とこなした岸田総理ですが、日本の国益につながるような成果はなく、単に記念撮影の場を提供しただけのことになってしまいました。
いずれにせよ、主要国の現役指導者が来日を躊躇したのには訳があります。何かといえば、彼らの間では、日本での国葬に参列している余裕がないほど金融危機が迫っているとの認識が急速に高まっていたのです。
日本では「円安」によってインフレも加速し、物価高の波が押し寄せています。とはいえ、国際的な投資ファンドの間では「前代未聞の大恐慌が間近に迫っている」との見方が出てきているのです。その対応を最優先したとしか思えません。
例えば、世界最大のヘッジファンドと目される「ブラックロック」を率いてきたエドワード・ドウド氏曰く「新型コロナウイルスの拡大の陰で見えにくくなっているが、世界経済は破滅の際に追いやられている。各国の中央銀行は景気の下支えのために紙幣の増刷にまっしぐらだが、過去12年間、インフレは拡大する一方で、株価も債権も実体経済から乖離したまま膨れ上がってきている。ドルのインフレは歯止めがなく、アメリカが発行するドル紙幣の15兆ドル分は何ら価値の裏付けはない」。
ドウド氏に言わせれば、「コロナの蔓延は金融危機から目を反らさせるための“目くらまし”に過ぎない」とのこと。同氏の見立てに依れば「これから半年ないし1年以内に世界の金融システムは間違いなく崩壊する」可能性が高いというのです。
そうした危機感に苛まれている世界のトップからすれば、いかに自国や自身の生き残り戦略を打ち立てるかが喫緊の課題となっていることは容易に想像できます。日本がそうした最悪の事態を突破できるようなアイディアや具体策を提供できるのであれば、世界のトップはこぞって「国葬参列」の名目で日本に飛んできたはずです。残念ながら、そのような先見性や危機回避策を日本は有していないと見透かされていました。そうした世界の現実を垣間見させてくれたのが安倍元総理の国葬に他なりません。