日本人は世界から「長生き」と羨ましがられているようです。平均寿命は延びる一方で、女性はほぼ90歳、男性も85歳を越えています。とはいえ、健康な長寿を満喫している割合は思ったほど高くありません。

 なにしろ、「日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団」の最新の調査によれば、日本人で「100歳以上まで長生きしたい」と望む人は約2割しかいないようですから。長生きしても寝たきり状態や認知症を患い、周囲に迷惑をかけたくないと思うからでしょう。

 こうした多くの日本人とは対照的なのが、去る11月29日、100歳の天寿を全うしたヘンリー・キッシンジャー博士です。5月に100歳の誕生日をニューヨークで盛大に祝った後、北京に飛び、習近平国家主席との会談を通じて、11月にサンフランシスコで開催された米中首脳会談のお膳立てを果たしました。

 また、ウクライナのゼレンスキー大統領とも会談を重ね、ロシアとの戦争終結に向けての水面下の外交アドバイスを提供していたようです。

 ベトナム戦争の終結への貢献が評価されノーベル平和賞を受賞した他、中東和平やソ連、中国との関係構築に大きな業績を上げ、アメリカ外交の立役者といわれている同博士。

 5月の100歳誕生日祝賀パーティーで大演説をぶちました。参列者が「ハッピーバースデー!ディア・ヘンリー」と大合唱で祝意を示すと、用意されたバースデーケーキの蝋燭を軽く吹き消し、故ニクソン大統領の真似をして、両腕を高々と持ち上げ、感謝の気持ちを明らかにしたものです。

 同博士は肥満気味ではありましたが、あの世に旅立つまで頭脳はすこぶる明晰で、講演でも論文執筆でも他の追随を許さず、自らが立ち上げたコンサル会社の経営トップとして君臨していました。

 そんなキッシンジャー博士は1923年、ドイツでユダヤ人の両親(父は教師、母は主婦)の元に生まれたものです。ヒトラーによるユダヤ人迫害から逃れて、ニューヨークに移住し、第2次大戦中はアメリカ陸軍に所属し、主にドイツ語の通訳として諜報活動に当たりました。

 戦後は旧西ドイツで対ソ連諜報戦に神経を尖らせたようです。その後は、国防総省に限らず、ニクソン大統領やフォード大統領の外交指南役として大活躍。特に、ニクソン訪中をお膳立てした「隠密外交」で世界史にその名を刻みました。

 1980年代にはレーガン大統領の命を受け、ソ連最後のゴルバチョフ大統領との間で核兵器削減条約を締結し、1989年の「ベルリンの壁」崩壊への道筋をつけたものです。
小生はワシントンの「戦略国際問題研究所(CSIS)」にて、キッシンジャー博士と知己を得ました。

 当時、共和党に近いキッシンジャー博士と民主党寄りのブレジンスキー博士は、CSISの2大看板研究者で、お互い最上階の角部屋を独占。しかし、傑作だったのはキッシンジャー博士ら共和党支持の研究者やスタッフが利用するエレベーターとブレジンスキー博士を筆頭にする民主党支持者が使用するエレベーターとは別々に色分けがされていたことです。

 キッシンジャー博士のオフィスには若いインターンが複数いましたが、その中の一人はしばしば小生のオフィスにやってきました。なぜかというと、キッシンジャー博士に提出するアジアに関する論文の材料を入手したかったのです。というのも、当時、小生は唯一のアジア系の研究者でしたから。

 そのお陰だったのかも知れませんが、このアメリカ人のインターン青年はキッシンジャー博士に大いに気に入られ、財務省で経験を積んだ後、オバマ政権において財務長官に抜擢されました。その後もウォールストリートに落下傘降下し、今ではアメリカの大富豪(ビリオネア)に名前を連ねるまでに大成功。ティム・ガイトナーその人です。

 いずれにせよ、キッシンジャー博士との想いでは尽きません。今でも思い出すのは、当時、ドイツ語訛りの英語で噛みしめるように語ってくれた成功と健康長寿の秘訣です。

 曰く「人生で最も大切なことは、どんなプレッシャーにも負けない強い意思の力を持つことだ。自分にとって何が重要で、譲れないものかを肝に銘じ、他人から批判されても、毒づかれたとしても、謝るな!自分の人生に自信を持ち、一人で生きる覚悟をせよ!」。そうしたキッシンジャー流の生き方を間近に観察することができたのは幸いでした。

 実は、そんなキッシンジャー博士が、100歳の誕生日に次のように呟いたそうです。
「ロシアとウクライナの戦争はアメリカが仕掛けたもの。ウクライナをNATOに引き入れようとしたのだが、大きな失敗だった。こうなった以上、アメリカがウクライナの行動を規制するとプーチンを説得し、一刻も早く戦争を終結させるべきだ。中国が和平案を提示しているが、中国とロシアは最終的には共存できない。アメリカは中国を選ぶべきだ」。

 じっくりと噛みしめたいものです。